上品だが、唐渓に通う生徒のような嫌味っぽさはなく、人当たりの良い人だと感じた。
印象は良い。なのになぜだろう? 美鶴は彼女に、もう一度会いたいとは思わない。
このハンカチ、返さないといけないよな。
そう思いながら、そんな機会など訪れなければ良いと、心のどこかで思っている。
なんでこんなハンカチ持ってきたんだろう。
無意識とはいえ、よりによってこのハンカチを持ってきてしまった自分に、なぜだか少し、腹が立つ。
あぁ なんだかメチャクチャ疲れるなぁ。
美鶴は額を両膝に乗せ、両腕で両足を抱えて蹲った。
綾子ママはいつ頃出勤してくるのだろう。それまでずっとここでこうしてるのかな?
今日は休み? それとも、やっぱりもうここには居ないとか?
歩道を人々が行き交う。
私、絶対怪しまれてるよな。補導されたりしないかな。でも、学校サボってる高校生なんていくらでもいるだろうし、中学生ならまだしも、義務教育でもない高校に通ってる生徒なんて、補導したりはしないよな。
しないで欲しい。
美鶴は今、自宅謹慎処分中だ。できるなら、そういった揉め事には巻き込まれたくない。
何事も起こらないでくれと思いながら、だが行くアテもなく、結局は立ち上がる事すらできないでいる。
私、こんなところで何やってんだろ? お父さんが見つかったからって、何かが変わるという保証もないのに。
雑踏の中、妙に虚しさを感じる。そんな自分を振り払いたくて、空を見上げる。
別に、何かを変えたいワケじゃない。
必死に言い聞かせる。
そうだ、別に何かを変えたいと思っているワケじゃない。お母さんとの怠惰な生活に愛想が尽きてるのは事実だけど、別にお父さんの存在に期待してるワケでもないし、なにも自分の生活や未来を賭けてるワケじゃない。
賭け?
違う。私なんて、賭けるような人生は持ち合わせてはいない。所詮は大した存在でもないんだから。ただ―――
だがその先の言葉が思い浮かばず、美鶴は大きく息を吸った。薄っすらと、金の髪が揺れる。漂うはずもない甘い香りが鼻をくすぐる。
秋の空が、高く広がる。
「これは何事ですのっ」
声を荒げる緩に、聡がニヤリと笑う。
「大声出すと、ここでサボってるのがバレるぜ」
「私の意思とは無関係ですわ。私は授業を疎かにするつもりはありませんから」
やや声を落しながら聡を押し退けようとして、だがあっさりと突き戻される。聡にしてみれば大した力も出していないだろうが、緩はまるで人形のように、校舎の壁に飛ばされた。
「美鶴にも、こうやって突き飛ばされたのか?」
言われて緩は相手を睨むが、聡は大して気にもしない。
「喚きたいなら喚けよ。人でもなんでも呼べばいいだろ?」
挑発するように胸の前で腕を組む。横で瑠駆真が、呆れたように視線を落とした。
「やめろよ聡。僕は、兄妹喧嘩を観戦するつもりはない」
その言葉に聡はチッと舌を打ち、腕を解いて一歩前へ出た。
「緩」
呼ばれて少女は唇を引き締める。長身から見下ろされ、それでも精一杯睨み返すその気の強さはさすがだ。
聡は心内で嘲るように感心し、もう一度名前を呼ぶ。
「緩、お前、まだ撤回はしていないみたいだな」
緩が一瞬息を呑んだのを、聡も見逃さない。
「俺はあまり気は長くない。約束はサッサと果たしてくれ」
「撤回はしません」
聡の気迫にも気丈に向かい合う緩。このくらいの気の強さがなければ、この唐渓で台頭する事はできない。廿楽に擦り寄る事だってできないだろう。
「そもそも、事実を撤回する事など、できません」
「事実? どこがだよ? お前の勝手が仕組んだ濡れ衣だろ? 所詮は嘘だ。嘘はすぐにバレるんだからよ、サッサと白状して謝っちまえよ」
そんな事はない。
緩は自分に言い聞かせる。
バレるはずがない。いや、たとえ今回の件が緩の狂言だと校内に知れ渡ったとて、それを公然と認める人間などいるはずもないだろう。
緩の背後に存在する廿楽華恩。彼女の口が、正しいのは緩だと主張すれば、それが通る。
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